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  • Hideyuki Takemoto

椎名誠と私

最終更新: 2019年10月1日


入社して最初の仕事として講演会をやった。講演者は椎名誠である。1982年のことだが、当時は椎名はまったく知られてなかった。さらば国分寺書店のオババしか出してないのだから当然と言えば当然だ。


この講演会のタイトルは「街の面白かなしズム」と言った。新聞紙面で講演会の告知をしたところ編集局から呼び出しの電話がかかった。社会部の相手は「このタイトルはいったいどういう意味だ?解説したまえ」と言った。相手はもっとわかりやすいタイトルにしろといったが椎名さんに電話すると「このタイトルに愛着がある」とのこと。しかたなく編集に泣きつき「どうしてもこの題に愛着があるそうです」と言い何とか誤魔化した。


この椎名誠の講演会はそこそこ人が集まった。これは書籍が1冊しかない作家の講演会にしては不思議な話だった。FM愛知に行く機会があり、そこでこの講演会をしきったのはボクなんですと自慢したところFM愛知のひとは「でも最初に名古屋に呼んだのは実はボクたちなんです」と言った。これは本当であった。


椎名誠の人気が爆発したのはその後の話だ。左翼人権派の代表的なところまで登りつめた。たいしたものだ。自分はその頃の椎名誠は知らない。もう講演料が上がり手が届かなくなったからだと思う。


同時に検討した講演会講師は林真理子だった。



林真理子は「ルンルンを買っておうちに帰ろう」を出したばかりだった。自分は面白いと思い強くプッシュしたのだが「あまりに新人は止めようや」と上司に言われ諦めた。


林真理子も出世して今や愛国保守の代表のようになった。


自分が朝日の出版局に行ってれば朝日の書籍も変わっただろうにと思う今日この頃であった。


実はもう一人押したひとがいた。産経新聞記者の近藤紘一氏だ。自分は近藤氏を呼びたいと言ったが編集局の反対でダメだった。近藤氏がダメという意味ではなく朝日が産経の現役記者を呼ぶと雑誌がうるさい、色々と問われるからダメだそうだ。近藤氏は数年後に亡くなった。これは残念な話だった。




この文章は書籍化されます。

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