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  • Hideyuki Takemoto

神戸まつりとその顛末

最終更新: 2019年11月3日

今日は宇部まつりだ。昨年、はじめて見た。意外と音楽が良かった。今日、書くのは神戸まつりとその転落である。


1976年に暴走族の事故があり、神戸新聞の記者が亡くなられた。



1年前だから1975年のことだ。兄が神戸まつりを見に行こうと言った。二人で姫路から神戸にでかけた。神戸まつりはとても自由だった。僕たちはサンバのグループが演奏している場所に陣取った。


ここではアフリカ人が数名加わり踊っていた。恐らくガーナ人貨物船船員で神戸にコーヒー豆とかカカオを届けた後だと思われた。この人たちの踊りが素敵だった。それまでアフリカの踊りはTVでの部族音楽での踊りしか見たことがなかったのだ。


打楽器その他を演奏しているのは日本人なのだが、踊り手との何らかの作用があり、とても楽しかった。このショウは最後まで見た。その頃は日も暮れていた。バスもなく僕たちは終電を逃すまいと駅まで歩いた。その道端で色んなひとがギターを弾いたりしていた。とても自由だった。自分のなかにこの日の神戸まつりが焼き込まれた。 


その翌年に事件がおきた。あまりにショックを受けて、この年は行かなかった。その翌年は行ったがもはや2年前の自由な雰囲気はどこにも無かった。


1976年から兄が発症した。色々とつらい事件がおきたが、結果として兄との最後の「旅行」だった。


今日は宇部まつりだ。神戸まつりを見に行ってからもう45年経つのだ。月日の経つのは早い。宇部まつりはこじんまりとしたまつりだ。だが演奏される音楽がどことなく洗練されている。音楽にビート感があると言えば良いのか音楽に魅力がある。演奏者が若いから、若い分だけビート感があるのだろう。


45年経ったのか・・・ もう45年だ。



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